K-MUSEUM1996

1999
マーブル・アーキテクチュラル賞(M.A.A.1998景観部門) 第一位 (伊)
1997
米国ランドスケープ協会賞(ASLA) (米国)
1997
都市景観大賞(景観形成事例部門) (日本)
1997
SDA賞 大賞(オリジナル部門) (日本)
1997
東京建築賞(一般部門) (日本)
1996
JCDデザイン賞 優秀賞(文化・公共施設部門) (日本)
1996
インターイントラ賞 優秀賞 (日本)

見えない地下のインフラを、浮上させて見えるように
共同溝展示館
米国ランドスケープ協会賞(ASLA) 、都市景観大賞 他

→ KM2024

みえないものを、見るために

イントロダクション:見えない未来/いまだ荒野としての都市

上:模型
下:写真
CG

臨海副都心は、東京湾に浮かぶ新しい都市である。
東京が江戸と呼ばれていた17世紀以来、東京は海を都市化することで成長してきた。
埋め立てによる都市の拡張。フロンティアと呼ばれるこの地は、東京の、20世紀最後の拡張場所となった。
しかし、都市の動態は経済情勢が決定する。
バブルと呼ばれた好況の80年代に着工された「フロンティア」は、インフラストラクチュアをほぼ完成させ上部構造の建設に移ろうとしたその矢先、90年代後半になって、第二次大戦後最大と言われる不況に見舞われた。予定された博覧会は中止され、進出企業はオフィスの着工を見合わせた。巨大なビジネスゾーンを予定していた新都市の中央部は、広大な空き地として残されたのだった。
そして今また、この街は動き出そうとしている。
波は繰り返すから波なのだ。都市の生命は永い。いっときの状況ですべてを評価することはできない。

そんな時代に、このミュージアムは、その都市の、まさに中央部に出現することとなった。それが意図だったのかどうかには、関係なく。
この都市の地下には巨大な共同溝が埋設されている。原子力発電所一基分に匹敵する建設費を投じてつくられた、エネルギーと情報と集塵システムの、日本最大の共同溝システム。この建築は、そのための展示施設である。
敷地の周囲は新しい街の中心となるはずだったところだが、今は荒野のような空き地である。そこは都心と呼ばれているのだが、郊外よりもっと未開の地のように見える。
参照すべき街並もなく、継承すべき文化もなく、尊重すべき自然もない、そして将来の予測も成り立たない、言わば無のエリア。そこに出現する建築には、いったい何が求められるのだろうか。

小さなこの建築ひとつでは、その機能から言っても、多くの人々を集める賑わいをつくり出すことはできない。この建築の役割は、量的な都市性ではなく、質的な都市性を果たすことにある。見えない都市を「見える」ようにする、モデルとなること。自分自身が、都市というものの、「模型」であること。

では、都市性として何をとりだすのか。

第一展示室:光/単純な、多様性

都市の特性のひとつは、「多様性」にある。
ひとつの目的のために、複数のルートが選択できること。
ひとつの目的を遂行する過程で、目的以外の作用が混在してくること。
ひとつの基準で選択すると、必ずその基準には合わないヒトやモノや現象が現れること。
たくさんの要素が関係し合い絡み合うという複合性が、一筋縄ではいかない都市の性格をつくりだす。単純な単位の組合せが、複雑な全体を生む。そうした都市の構造を、この建築はモデル化して体現している。

金属のユニットは、単純な抽象形態を基本にしているが、それが組み合わさって多様性のある全体となる。それぞれのテクスチュアには何種類かの違いがあり、その組合せも多様性を生む。その際の手がかりは、「光」である。
光の透過率と反射率、それに波長が少し異なるだけで、結果は大きく変わる。
反射面の角度の差が光の方向を偏向させ、太陽の動きを増幅して描きだし、時間によって知覚される形態が変化する。

制限された素材と形態の単純な組合せが、光を媒介にして複雑な全体を生成する。

第二展示室:時間/滑走

この建築の形態は強い方向性を持っている。
基壇となる地形とは、部分的にだけ接している。それが、滑走を終えて飛翔する瞬間か、それとも長い飛行の果ての、着地する一瞬か、定かではないが、モードの遷移する過程の、きわめてわずかな静止の時間であることは確かだ。作動する転換モード。
都市とは、永遠の「転換モード」にある存在なのだという認識が、そこにある。

その動きが、都市を賦活する。都市が生命化される。

第三展示室:材料/開発

この建築では新開発の素材が数多く使われている。
外装材のアルミおよびステンレスパネルは、三次元立体部を3ミリ幅の細い目地であらかじめ一体化した上で取り付けている。
内装では、アルミハニカムコアを二枚のアクリル板で挟んだ材料を開発した。
アクリハニカムと名付けたこの材の背後に照明を配し、銀色のコアのきらめきを伝えている。
内部の自立トイレブースは、ドアや洗面器や排気塔等も含めて人工大理石で一体整形した。
トップライトの曲面体は、長径5Mの半透明なFRPの一体整形による。
これは都市に不可欠の、「やわらかいなにか」でもある。
カーボーンファイバーによる風にそよぐ環境彫刻「ファイバーウエイブ」は、普通は見えない「風」を、見えるようにする装置である。

単一な素材ではなく、複合された材料でつくられた建築。都市もそうしてできている。

第四展示室:展示/見えないもの

展示は、模型、見本にデジタルメディアの併用で、空間の中央部に線形に並んでいる。
展示内容のすべてをデジタル化して室内にはスクリーンだけが吊られている、という構想を提示したが、実現しなかった。やはり、モノを置きたいという性向は根強い。
この建築は都市のインフラストラクチュアへの理解を深めるという特定の目的を持っているのだから、一般のギャラリーのようにフレキシブルな展示空間である必要はない。ユニバーサルスペースではないのだ。キャラクターは明確にしていい。
共同溝本体は見学コースで見ることができる。本物はそこにあり、ここにはない。
だから、極端なことを言えば、この建築を見ることが、「見えない」都市の「構造」について考える契機となれば、この建築は課された「展示」機能を果たしたことになる。

多様性、選択性、対称性、交換性、関係性、光、そして方向性。そうした「見えない」ものが、都市の(共同溝とはまた別の)「インフラストラクチュア」であることが伝われば、この建築の役割は満たされる。

イクジット:展示/見えるもの

上:写真
下:模型

というわけで、結局、この建築自体が、「展示品」なのです。
ひとつしかない、実物としての建築。ただひとつの、この場所。
共同溝本体という実物も、その固有の場所にあるわけで、展示「建築」としての価値は、この、唯一無二性に帰するのではないでしょうか。
空間と時間と気分の、ここでしか味わえない、代替不可能な、非疑似体験。

それ以外の「展示」は、すべてソフトウエアに変換することができます。そしてソフトウエアは(人的なサポートも含めて)場所に拘束されません。どこにでも配信可能で、どこにいても手に入れられる。ひとつの「箱」は不要です。
ということは、逆に、「自立した」機能のない箱=建築に、存在意義はない、ということになります。
そしてまた、この、唯一の「実物」であるはずの建築自体が、都市の「模型」である、という仕組み。

本物はつくりもの、つくりものは本物。

さて、こうした、「本物」と「模型」と「ソフトウエア」を巡る、「見える/見えない」、の多重構造が、展示「施設」ということになります。
施設、というより、展示「系」、とでも呼んだほうがいい。
百聞は一見にしかず?、なにが実物でどれが模型なのか、見えないものが果たして見えてくるかどうか、よく晴れた日の午後、できれば少し風のある日に、ご自分の目で、確かめていただければ、幸いです。

K-MUSEUM  名称:「共同溝展示室」
現在、内部は一般公開されていませんが、外部を見ることは可能です。
JR&銀座線の新橋駅から、新交通ゆりかもめの 国際展示場正門駅下車、 歩6分です。

KM2024

KMの使命は、臨海副都心の誇るインフラの、巨大共同溝を広く知っていただくこと、だった。

都市東京の抱える問題(のいくつか)を解決する新都市として臨海副都心は設計された(はずだ)。
東京を世界のビジネス中心(のひとつ)とすることが、この都市の主目的とされた。
そして、バブル期のような地価高騰を起こさず、かつ細分化された私権による都市計画遂行の困難さを解消するために、土地は公有化し、原則として売却せずに期間限定で貸し出す、という、日本の都市では他に類を見ない(と思われる)基盤方式を採った(と思われる)。
その基盤上の交通体系は、ほぼ完全な歩車分離を行い、ひとは上、車は下、の立体方式を徹底した。
コンクリートジャングルと揶揄された東京の「印象」(実際には東京の緑被率はパリと変わらないがー)を変えるべく、随所に広い緑地や広場を配した。
そして、絶えず道路が掘り返され永遠とも思われる工事が続く状態を避け、かつ震災時にも都市機能を維持するため、電気水道ガス通信といったインフラ幹線を大型共同溝に配し、都市の循環器系&神経系ネットワークとして地下に張り巡らせた。
これで、計画者の夢であった、新時代の都市が出現する、はず、だったのだ。

しかし、バブル崩壊により、描いていたビジネス中枢の需要は止まり、代わって採った暫定商業利用が人気を集め、都市の目的自体が変容していった。
全公有という画期的な土地管理システムは、(おそらく)売却によるゲインに抵抗できず、なし崩し的に土地売却に転換し、当初の理想は減衰していった。
歩車完全分離は安全性と引き換えに、地上階を、歩いてあまり楽しく「ない」路に変え、またその後に一般化した自転車利用に対応しきれていない。

そして、売り物だったはずの共同溝にも向かい風が吹く。
ゴミの集積所を不要とし収集車も走行しない、目玉の真空集塵システムが、その後の環境対策の変化に伴う分離収集に対応できず、閉鎖されてしまった。
地下を走る大規模なチューブラインが、無用の存在と化した。
(もちろん、真空集塵以外の共同溝内ネットワークは、その後も有効に街を支えている)

KM=「Kyodooko Museum/共同溝展示館(or室)」は、その共同溝を一般に解説するためにつくられたのであった。
臨海副都心が誇るこの新時代のインフラを広く都民市民の方々に知っていただくことが、KMの目的だった。
そのため、来訪者はまずKMで共同溝の概要説明や耐震可撓ジョイントの現物等を見た後、近くの入口から地下の共同溝を実際に目にする、という見学コースが設定されていた。
ところが、世界的なテロの頻発等により、都市インフラ情報を拡散させるリスクから(と思われるー)共同溝の見学は中止された。
共同溝の見学を行わないとなると、面積の小さなKM単体では展示施設としての機能は十分には果たせない。
そのため、しばらくはボランティアで続けられていたKMも、やがて閉館となり、現在(2024)に至っている。

ちなみに、福井晴敏の小説「Op.ローズダスト」(2006)は、テロリスト集団がこの共同溝の真空集塵システムを支配して臨海副都心の各所に(ゴミではなく)爆弾を送り、遂には都市全体を破壊する、という設定である。
その文庫版のあとがきの冒頭で橋爪紳也は、KMとこの都市の計画理念について触れ、共同溝の意図を記している。
(そこではKMは中止された都市博のパビリオンとして企画と記述されているが、KMは恒久施設として都市博の中止後に完成している)

2024年現在、KMは閉鎖されている。
閉鎖後に張り巡らされた白いフェンスの向こう側、黒々とうねる石の海原の上に置かれた銀色と金色の金属の塊のように、KMは静かに横たわっている。
風にそよぐファイバーウエイブは、だいぶ数が減ってはいるが、なお、そこに透明な空気の流れがあることを示し続けている。
橋から下に降りて見上げれば、空に向かおうとするその姿形と姿勢は、いまもなお、かつてと変わっていない。

現在から過去を糾弾することは、容易である。
先を見通せなかった、見落としがあった、判断が誤っていた、と、結果を見てからいうことは、簡単だ。
だが、ここには、この都市には、過去への反省と未来への眼差しがあったことは、確かだ。
そこに、輝ける都市(1930 ル・コルビジェ)、東京計画1960(丹下健三)、アキラ(1990 大友克洋)、の影が重なっているとしても。

KMの姿を、これからいつまで、目にすることができるのかは分からない。
明日行ってみたら、消えていた、ということもある、かもしれない。

しかし、この地に都市の理想を投影し、新たな構想を掲げ、幾多の困難を克服して実現に努力した、そしてあるところでは挫折もした、その多くの方々の、理念と意思と行為と(幾分かの無念と)を体現する「小さな結晶体」として、KMはいまも、そこに、ある。

(本稿の経緯記述は、筆者による想定を含みます。事実と異なる点があれば、根拠と共にお知らせ頂ければ幸いです。確認の上、訂正することがあります)