上海住宅2004

中かと思うと、外であること / 外かと思ったら、内だったこと

街並に溶け込むこと:ファサードのない建築/継承

敷地は上海都心部の、植民地時代前後の住宅が並んだ区画である。

いずれも、母屋+別棟の3F建てで三角屋根に洋風装飾という様式が共通しているが、近年、個別に改築が進んでいる。
こうした歴史的な経緯に敬意を表して、道路側は周囲の佇まいに呼応する扱いにしている。

近隣の家屋とほぼ同様の高さ、奥行きとし、勾配屋根、窓割りから色彩も周囲と合わせた。道幅の幅が狭いわりに街路樹が大きいこともあって、ファサードの全体はひとめでは見ることができない。だから道に立つと、これはひとつの建築というより、樹木の間に見える窓と壁の色の断片の集まりという印象である。

つまりこの建築にファサードはないといってもいい。
全体像はどちらにしても見えないのだから、部分の集積として、風景のいち要素として、周囲に溶け込むことを大事にした。

その道路側の3層部分に、中庭を取り囲む1層が組み合わされている。
施主の家族は2世帯だが、親類や来客の宿泊も頻繁なため、多くの部屋とバスルームが求められた。それらは上2層に擁されている。下1層はキッチンと多目的空間であり、その上は広いテラスである。

中かと思うと外であること:多層レイア/実体写像

楕円形の中庭を取り囲む空間は、閉じることなく途中で切断されている。

東側から続く室内は西側1/3ほどのところまでで、以後は外部であり植栽されている。一方、中庭を取り囲むガラススクリーンは途切れずに続いて、閉じた楕円を成す。

中庭の床は室内から続く黒御影である。植栽された外部に立ってみると、中庭は室内のようでもある。
逆に室内からは、中庭が外部で、その向こうの緑が再び室内のようにも思える。
中庭に立てば、同じ黒い床の部屋はむしろ中庭の延長のようであり、かえって緑の外部が室内に見える。
中と外が連続し、断続し、そして重なりあっている。

こうした空間レイアの「実体の」重なりを映像として増幅するのが、いくつかのスクリーンである。
室内の壁の鏡はそのひとつだ。この鏡は、緑の外部と中庭の境界に立ったときガラス越しに室内に緑を重ね合わせるよう、位置と大きさが設定されている。モニタの映像のように、中庭のスクリーンの向こうに広がる景色が部屋に重なる。

中庭を取り囲むガラススクリーンには金色のドットがプリントされている。それは均一ではなく門型のパターンで、スクリーンの透明性を高めると同時に逆に不透明性も増幅している。さらに、折れ面で構成されたガラススクリーンが、反射像を複製していく。

中庭に立つと、視界に入ったひとが近づくのか遠ざかるのか、右からか左からか、ふと錯覚する。距離や方向があいまいになり、空間の奥行きが増していく。
しかしそれは鏡の間のような直接的なメイズではない。あるときふと気づくように、さりげなく、空間が重ね合わされ拡張されている。

床も増幅スクリーンのひとつである。黒御影はマットな仕上げで反射を抑えてある。そこに切り取られた中庭の空の光が映り、トップライトからの光芒が描かれる。

ここでは、上と下、右と左、前と後ろ、中と外という序列に、組み替えが起きている。

水:反射/光・風

中庭には水を張ることができる。

ガラススクリーンの下部は、立ち上がりを設けないディテールとした。
水面から直接ガラススクリーンを立たせ、水面の反射像と実体とが途切れずに連続するようにしてある。
上海の夏は東京と同様に暑い。中庭の水は夏季に温度を下げる働きも期待されている。

同時に、水面は室内に光を呼び込む鏡の機能も持つ。室内には、天井の反射光と南東端のトップライトの光が注がれる。

天井にはレンズ状の薄い掘り込みを連続させ、やわらかな間接照明とした。
2Fにはテラスと温室があり、中庭を見下ろす広いテラスは戸外のもうひとつの部屋として機能する。

水を張るときと張らないときでは中庭の性格が違う。
水がないときそこは部屋でもあり、水があるときは反射鏡になる。

家具:新チャイニーズ/ハイブリッド上海

建築はニュートラルな扱いとする一方、家具には様式を導入した。

1Fの家具類は黒漆塗りに二種類の処理を施した。ひとつは浮き彫りに金泥を置き、もうひとつは螺鈿を埋めている。どちらもフォルムはシンプルにしながら、中国伝統の技術とデザインを積極的に使おうとした。漆はJAPANと表記されるが、それはここ中国の伝統文化でもあるのだ。

こうした伝統技能の再発見は、ともすればいわゆるシノワズリ(日本においてはジャポニズム)に陥る可能性もある。外国人が見たその国らしさ、というのは、本国人からみるとおかしなキッチュに陥りやすい。しかし、ここ上海ではその心配は杞憂である。 近代上海はそもそも、異種文化の重合体として推移してきたのだから。

漆も螺鈿も、いまの上海ではつくれない。遠く離れた都市に前代の技能が残っているだけである。そこでは細々と昔と同じものをつくっているが、まもなく衰亡する可能性が高い。その技能に新たなかたちを与えることで、次代に継承する道をつけること。それもここでの意図であった。

だからここでのデザインは伝統様式の単なる復活ではない。継承すべき中国伝統の遺伝「素」の、組み換えをしようとしている。

同様な意図が、上階のメインバスルームの素材にもある。
そこでは床から壁、そして浴槽からカウンタまでを一体の疑石研ぎ出しで製作した。職人が現場で時間をかけて丹念に磨き出し、成形したものである。
この技法も、このままでは消滅する方向にある。その技能を生かす新たな道を、ここで探そうとしている。

敷地にしろ、伝統技能にしろ、その地に潜在するちからを発見しそれを強化することが、このプロジェクト全体に意図されている。