ファイバー ウエイブ / Graz version 2005
Kunsthaus Graz
美術館の屋上のテラスに展開する筆者の「FIBER WAVE - I」は、もうひとつの方法をとる。 見えない風を可視化するその動きは、見る者に快適な感覚を与える。しかしそれは具体 的な感情を喚起するわけではなく、味も手触りも痛みも、呼び出さない(ないわけでは ないが)。この点では川俣作品と近いが、違うのは、記憶バンクも使わないことだ。 思い出は要らない。ここで使うのは、「自然」、である。
自然界のリズムは多くのひとが快適と感じる。風のそよぎや滝の音、雲の形の変化や夕 焼けの彩り(例外は常にあるとして)。
その理由は、こうした自然現象の変化のリズムが1/fゆらぎを持つからとか、フラク タル数のパターンでいちおうの説明はできる。しかし逆に、風のそよぎと共に数十万年(それ以上)生きているうちに、そのそよぎを快適と感じる脳の持ち主が生き残ってきた のだと、進化生物学者はいうだろう。
だから「FIBER WAVE」の動きは個人の経験にかかわらず快適と感じられる普遍性を持つ。 レモンを見て酸味を感じるのはレモンを食べた経験者に限られるが、風に揺れる木々の 動きの気持ちよさは、経験による学習を必要としない。ここで使われているのは、DNA に記述されていた「汎用プログラム」なのだ。
( ただしグラーツはあまり風が吹かないとのことなので、その動きを見れない?かもし れないのは残念。 室内版の「FIBER WAVE - II」では、バーチャルの風が吹く )
快適と感じること、それはこのアートの作用の初動、まずドアをそっと叩く音だ。その 次に、その感覚の振動に乗って滑り込んでくる意味がある。見えない風を見ることの意味。 そこにあるのに気がつかない何かの輪郭の、「知覚」が始まる。
( 「日本の知覚展- CHIKAKU: Time and Memory in Japan」カタログより )