CHRONOSPACE1991

Chronotecture / 空間自身が役者となる舞台
演者の登場しない演劇の設計(舞台美術ではなく)

Chronotecture / 空間自身が役者となる舞台

これは、新しい形式の「演劇」である。

演劇は、ふつう、演者が演じる。筋書きがある。
しかし、この舞台には、演者の姿はない。
セリフもなく、ナレーションも、ストーリーすら、ない。
そんな演劇が可能なのか。それは演劇と呼ぶべきものなのか。

この演劇は、舞台美術家とアーティスト、そして建築家のコラボレーションとして企画された。
それぞれはそれぞれのパートを設計・演出し、各パートはオーバーラップしながら接続される。
当方の意図は、空間そのものを、劇的体験とすることだった。

幕が開くと、そこに広がる舞台には、何もない。金属の床があるだけだ。
その床の一部が鋭角に割れて、立ち上がる。
床の亀裂が広がり、金属の床がいくつもの断片となって舞い上がる。一部は地上に落ちて砕け散る。
その一連の過程に、観客は立ち会うことになる。

建築はふつう、動かない。動けない、といった方がいい。
だから、建築での空間体験は、体験者が動くこと、そして光や風という環境条件が動くこと、で変化する。
しかし、ここでは、空間自身が変化する。
それぞれの時間に、それぞれの異なる空間がある。

ここでは、空間と時間は、同義なのだ。

コラボレーション:
小竹信節(演出)+ 前本 彰子 + 渡辺 誠
上演:
青山スパイラルホール:新機械劇場