RIBBON2005
閉じているようで、開いてもいるもの
美術展会場構成(グラーツ)
「知」と「覚」を結ぶリボン
条件 :解答としての設計
展示設計も建築の設計も、与えられた条件を解くという使命がある。
条件を解く方法はひととおりではない。そのどれを選びどう解いたかが、設計の評価の一面だ。
たとえば、「狭いからなんとかしてほしい」という「条件」に、では広くしました、という解答は誰でも思いつく。
狭いならもっと狭くして、そのかわりそこでのひとの所作を狭い中でこそ美しく見える様式に変えました、という解答もある。それは「茶室」と呼ばれている。この逆転の解答の方がエレガントだ。狭い→広げる、という単一の道ではなくて、狭い→もっと狭くする、しかし快適、という逆説の道 (いつも使える技ではないが)。
ここには思考過程の飛躍があり、その飛躍から学ぶことが、他課題への解答を触発する力になる。これはひとつの例だが、すぐれた設計とは、このように、予想外の仕方で条件を解く方法をみつけてくるもの、のことではないだろうか。
(そしてその解答が「心をときめかせる」かどうか、それがもうひとつの評価基準だ)
さて、今回の「展示設計」(グラーツでの現代日本美術展:「知覚」展)には、どのような条件が課されていただろう。
このKUNSTHAUSの設計者ピータークックとアーキグラムの面々は、筆者が学生のころ、もっともcoolな建築家達だった。建築家とは実作を設計するものと思っていたところに、実物をつくらなくてもいい、つくるより以上に世界を動かせることを実証した、実質的に世界初の「メディア・アーキテクト」といえるだろう。それから30余年。その事実上の処女作の完成は、心から祝福したい。
筆者は建築家なので、ふだんは使う側からあれこれ注文を出される側である。
どんな名?建築でも、いざ使うとなると不満がでてくるのは常のことだ。
設計時に打ち合わせをした相手と、できてからその施設を使う担当者が違うことが多いのも、その理由のひとつだ。どういう要求を出してどんな経緯でそうなったかを知らずに、この施設を使いなさい、といわれれば、なんでここはこうなっているの、と思うところが多いのも当然である。
だから設計時にいくら要求をかなえようとして努力しても、結局、使い手に不満が出る。これは建築家の宿命?かもしれない。
(ただし、そうならない幸せな場合もある。それはクライアントが設計主旨を理解し、代々の維持管理者にそれを伝え、建築を愛し続けてくれる場合だ。「愛」はいつも問題を克服する。
筆者にとってはたとえば「青山製図専門学校」がそのひとつだ。1990年に完成したこの建築は、施主の「愛」により、2005年のいまでも竣工直後のように見える)
今回は、筆者は、いつもと違ってこの、「使う側」に立つ。たまには立場を変えるのもいい。 使う側に立つと、このKUNSTHAUSはどうか。
美しい古都に着地したエイリアンと称されるこの建築を、コンペで選んだグラーツ市の英断に、まず敬意を表したい。
周囲の街並みからはまったくの異物なのだが、ごつごつした三角屋根の建物の間に流れ込み広がる軟体のようなかたちと質感が、周囲と対立するのではなくむしろ融和しているともいえる(異論もあるだろうが)。中途半端な妥協をしない、いさぎよさが気持ちいい。古都の街並みの保存はもちろんたいせつだが、その方法はひとつではないことを証明した建築の意義は高い。
その主展示室は上下二層である。「上の階」は外形にそった折れ面の高い天井で、「下の階」はフラットだ。上の階の天上にはトップライトと多重リング状の大きな照明器具が点在して、消灯時にも目立つため、来訪者の目は展示作品よりこちらに行ってしまう。
また、展示室の中央を縦断してトラベータがあり(これもいさぎよいが)、展示空間の一体感を得るのは簡単ではない。内部は外装の滑らかなアクリル材ではなくグレイの塗装なので、天井面のトップライトや大型照明が目立ってしまう。
これらの課題に対処するには内部全体に幕を張って包んでしまうのも手だが、それではこの建築の内部空間と形を生かすことにはならない。
建築の長所は生かしながら、課題を解決する道を探すこと。これは、たやすくはない。この建築の特性を生かすことのできる、新しい展示設計が求められる。
閉じているようで、開いてもいるもの :風に流れるリボン/流動する空間
もうひとつの設計条件は、展示作品そのもの、である。
今回の展覧会の主旨のひとつは、写真とアートとメディア作品を同列に扱うことである。 デジタル化された写真の後処理はもはや絵画を描くことに近いし、アートに写真が使われるのも日常だ。そしてメディアアートと、接頭辞のない「ただのアート」との境界線も定かではない。 しかし、職能を聞かれると写真家は写真家、アーティストはアーティストと答える。同じようでいて、違うもの、それらをまとめて扱うこの展覧会には、どのような順序と構成が適当なのか。
そこで、ここでは作品の「形式」をたよりに領域を分けることを提案した。空間の広がりの大きい上階にはオブジェ作品、平らな天井の下階には平面作品、という区分である。 ここで「オブジェ」の定義は、「三次元の外部形状を持つ」作品であり、「平面」作品の定義は「二次元のフラットなスクリーン上の」作品とした。したがって映像作品も写真も絵画も、平面という同じ形式ということで、下階に展示される。 形式でアートを分けることに特別な意味はないが、そもそも分類自体に決定的な基準などない。ここでは、展示空間というハードウエアの「形式」による区分をするために、作品のハードウエアである「形式」を選んだのだ。
展示は、作家相互の干渉を避けるためにも壁で仕切ることが多い。個展ではなく今回のように複数の作家の作品が並ぶ場合はとくにそうだ。しかし、このサイズの展示室で壁をつくると、せっかくの建築の広がりが失われる。(ここでも「設計者」の意図を尊重したい) かといって、ひとつの空間に作品が並ぶだけだとスーパーマーケットの商品陳列棚のようにもなりかねない (それはそれで面白いかもしれないが)。
今回はそのどちらでもなく、閉じてはいない、しかし、すべてオープンでもない、二者択一ではない展示空間を求めた。
さて、こうして、「空間からの条件」と、「作品からの条件」が出揃った。
これらを統合した「上の階」への「解答」は、「ひとつづきのスクリーンの連続体で空間を構成すること」、だった。
あるところでは床から立ち上がって作家の領域を示し、あるところでは上空に舞い上がって天蓋となり、また浮遊して動線を示す。
その流れるような動きはこの建築の内部空間の性格を補強する。そしてトップライトと天井照明の存在を緩和する「強さ」を持ちながら、作品を妨げない「やわらかさ」がある。そういう、変化するリボンのようなスクリーンをたたみこんだ全体空間を、設計の解答として提示した。
これは、この建築の中にもうひとつの構造体を組み込むことでもある。
この、「連続する自由曲面体で構成された流動空間」は、筆者が設計した「地下鉄大江戸線飯田橋駅」の「ウエブ フレーム」(東京/2000年)に関連する。
「ウエブ フレーム」では線材による網の目状の二次架構が地下を巡り、空間を包む。ここでは要求される条件と設計者の意図とを満たして架構を発生させる、コンピュータプログラムを開発した。「ウエブ フレーム」は、「必要な要求条件をかなえて」コンピュータプログラムから生成する、世界初(おそらく)の建築を実現している。
グラーツではプログラムは開発していないが、条件を解くという点では共通する。
気の赴くままにリボンを操って気に入ったかたちを選んだ、のではない。各作品の周囲では低く降りて領域を明示し、動線部では高く上がって通路を確保し、幅やねじれの制約を満たす、という「要求条件」をクリアしながら、かたちができあがる。(そして、美しく)
「ウエブ フレーム」ではそうした条件が相互にからみあい、ひとの脳の能力を超えたため、プログラムが必要であった。網の目はどんなかたちにも連結できて自由度が高いぶん、条件を解くのが難しい。
グラーツ版は、ひとつづきの連続面で自由度が少ないため、ひとの脳で条件を解くことができる。
その成果として、風に飛ばされたリボンが、中空を漂う。
壁のように立ち上がり屋根のように渡るリボンがつくる空間は、あるところでは収縮し、ある場所では広がり、分節され、また連続していく。その柔らかな連続流動体の様子は、生物の体のようだ。
生物といえば、KUNSTHAUSの形はゾウリムシのような単細胞生物を思わせる。ゾウリムシの細胞の核をメスで切って開くと、中にたたみ込まれていたDNAの二重螺旋のリボンがはじけて、細胞内いっぱいに広がる(未確認)。
その、展開したDNAという「状態」が今回の設計である。そこに記されていた遺伝情報が、リボンの各交点に「作品」を発生させるのかもしれない。
ちいさな街:壁という母体/動く建築
「下の階」は、これとは一転する。
下の階は、写真、平面のアート、そして映像作品の場である。フラット作品にはフラットな展示方式がいいということで、初めは、壁をつくらず、作品だけが空中に浮いている展示方法を考えた。
しかし、作家と話していると、作家は壁を求めていることが分かった。日高恵理子はしっかりした壁がほしいという。杉本博司はトンネルのような狭く長い場所が希望だという。これは意外だった。
歴史を遡れば、建築に固定された壁画から生まれた平面アートは、一枚のタブローとなることで建築の拘束から開放され、さらに額縁という枠からも自由になったはず、だった。
しかし、平面作品は、その出生の記憶をなお忘れずに保ち、自分をしっかりうけとめてくれる安心できる「壁」、母のような確かな存在を、求めているのだろうか。
建築にとっての最大の条件は土地である。建築家は敷地を選べないし、建築は土地と重力ら逃れられない。(そういえば、アーキグラムの有名なプロジェクトのひとつに、「ウオーキングシティ」がある。歩く都市、動く建築は、土地という建築史上最強の拘束者からの、離脱願望の具体化だ )
「土地」という圧倒的な縛りのなかで、それに足を絡めとられない飛躍を求めて浮上しようとする建築と、自由な世界で想像力を開いた上で、「壁」という基盤を求めて接地するアート。その一致と相違が面白い。
アーティストの「希望」は建築家にとって、建築の「設計条件」と同じである。
(ここでまた筆者は、「使う側」ではなく、いつもの「要求をかなえる側」に立つ)。
それで、アーティストの希望どおり、壁をつくることにした。
それぞれの作家のほしい壁は皆、違う。
厚くしたい、狭くしたい、やわらかくしたい、暗くしたい...
それらの希望を聞くと、それぞれの小さな部屋ができる。作家の要求はそれぞれの「部屋の内部」についてなので、外部は内部の「結果」だ。
この街では、外部はインテリアの「結果」たまたまそうなったのであり、「建築」をデザインしたわけではない。通常の街とは逆に、内側からできた街、だ。
今回、「上の階」、リボンの舞いの中で展示された作品群は、感覚を励起する性格を共通して持っていた。
まだ脱色されていない、官能のオブジェクト群が屹立する場所。
その只中に出現する「リボン」は、それら露出した感覚器を包む産着のように、あるいは包帯のように、癒し慈しみ、そして同時に縛り拘束し、あるいは誘い、さらにどこまでもいつまでも、ゆらぎたゆたう。