裸のトイレ/NAKED TOILET  1993

ニューヨーク アーバンアウトハウス コンペティション入選案

これはニューヨークを舞台にした、パブリックトイレ国際コンペの入選案である。
審査委員長はフイリップ・ジョンソンであった。
公衆トイレといえばパリが有名であるが、ニューヨークにはこの手のものがないという。そこで、パリのトイレを凌ぐものを設計せよというのがこのコンペの主旨である。
ほかには、維持費を捻出するためのビルボードを用意するという条件がついていた。

とはいえ、街なかの公衆トイレというものには、みんな相当切迫した状況でもなかなか入る気になれないのではないだろうか。東京でもそうであるから、ニューヨークともなればなおさらである。
その理由は、キタナくてキケンだから。つまり、このふたつを解決しなければ、いくらスペースをデザインしたところで本質的な解答にはならない。
ではキレイでアンゼンなトイレは、どうしたらできるか。

両方とも、使うひとの心理状態で決まる。何をしても分からないところ、という心理が、清潔さと安全性を危うくする。そしてトイレが何をしても分からないところになるのは、そこが高いプライバシーを必要とするからである。
それでは、プライバシーが高くて、しかもオープンな空間はできないか。
それは一見矛盾する要求のようだが、方法はある。空間を時間で変化させればいいのだ。こうしてこのトイレができた。

普通は隠そうとする便器を、隠さずに路上にぽんと置いてしまう。見えるから、汚しにくいし、安全性も高い。使うときだけ、見えなくする。
二枚の調光ガラスのスクリーンが、プライバシーを確保する。終わったら、壁は再び透明に戻って、内部全体を洗う様子が、ちょうどカーウオッシュのように外から眺められる。それはストリートパフォーマンスのひとつとなるだろう。
見える/見えない、を巡る街頭の一幕。眺めてタノシイトイレ。

その点をはっきりさせるため、登場する要素は必要不可欠なものに限り、形態操作は最小限に留めた。便器と鏡と自立した洗面器、二枚のスクリーン、設備を内蔵したフレームと、使ったパーツはそれだけである。

こうして、キレイとアンゼンを求めて成立し、そこにタノシサが重なったこのトイレは、その結果、もうひとつ別な意味を持つことになった。
これはトイレというより、路上に置かれた便器そのものである。いちばん単純な、裸のトイレ。
隠していたものを表に出すこと。それはタブーとされているものに陽の光を当て、風を通すことである。
一般に、ひとの行為のいくつかには、それぞれ特定の空間が割り当てられていて、その取り決めを犯すことは禁じられている。食べながら歩くことはマナー違反だし、道ばたで排泄すれば犯罪だ。
しかし、禁じなければ実行されてしまうからこそ、禁止するのだ。

路上の誘惑、露出の不安、裸の欲求、イケナイ快感。
そのスリリングな境界線の上に、このトイレは建つことになる。

(本作品が発表された1993年以後、類似の案や例が多数出現している)