極初期作品(学生時代)
炎の天蓋1971
これは、2024年パリオリンピックの聖火台の素案―
ではない。
その半世紀以上前、1971年の大学学部2年生時の、即日設計案だ。
即日設計とは、課題発表と設計をいちにち(実質3時間)で行う演習授業で、学年を越えて2年生から4年生までの学部一斉参加であった。
審査は建築学科の教官ほぼ全員が、ひとり持ち点プラスマイナス1点で評価し、その合計点で順位が発表された。
このときの課題は、「イベントの中心となる仮設の屋根付き野外ステージを設計せよ」というものだった。
学生たちは、舞台空間の求心性をどう求めるか、そして屋根の架構と形状の創意をいかに発揮するか、のふたつの面を競うことになる。
筆者(学生)は、「求心性→炎」、「仮設性→空気膜」、という筋書き(学生用語では「コンセプト」)とした。
ただの空気膜ではつまらないので、「炎→上昇気流→熱気球」とし、開口部を大きくした熱浮遊の天蓋を提案した。
古来、祀りに火はつきものである。
火は、浄化や再生、そして力を表すものとして人々の「気」をそこに集める。
その気=熱が 天蓋を形作る=浮かべる のだから、趣旨にぴったりだ(と思った)。
構造材を必要としないので、設営も撤去・移動も容易だ(と考えた)。
この「作品」の評価は、全学年の中でトップであった。
(金メダルは用意されていなかったが)
その顛末は、著書 「建築家」(1992年/55p~)で触れている。
それから53年の時を隔てたパリで、自分の作品の「縁者」(のようにも見受けられるもの)に出会うことになるとは、学生の筆者は思いもよらなかった、でしょう。